今日は、どこをどう歩いただろう?
代わり映えのしない街。空は相変わらず薄暗く、太陽が見えないのが少し残念だった。
昨日、あの小さな人間に答えたように、自分はなにかを探している。きっとそのなに
かを見れば、すぐにでもわかるような気がする。ただ、今そのなにかが無くて、困って
いるわけでもなく、気ままなものだった。
忘れてしまうようなものなら、思い出すまで放っておいても構わない。
昨日までは、なにかを探していることすら忘れていた。それだけのことだ。
しかし――今は少しだけ、その探し物が気になる。人間と話すのも久しぶりだったか
らか、いつもは忘れてしまうような些細なことが、心のどこかにひっかかっている。
一声鳴いて、頭上を見上げた。
時間は、昨日よりも少し早いくらいだっただろうか。空と一緒に目に入った建物は、
あの小さな人間がいた場所だった。
「あ、来てくれたんだ」
窓の前まで行くと、待っていたのか、彼女は羽をパタパタと揺らし、嬉しそうに笑顔
を浮かべた。今日は、窓が頭と同じくらいの幅だけ、開いている。
「たまたま立ち寄っただけだ。それに、昨日の答えも聞いていなかったからな」
「あー、そのことね。それより……」
窓の隙間をくぐり抜け、小さな人間がこちらに来ようとしたため、二、三歩下がる。
それに気づき、ゆっくりと彼女も後ろに下がった。
「それより、お腹……すいてない?」
敵意がないことを見せるためか、彼女はさらに後ろに下がり、窓際の端に立った。
言われるまでは特に空いていた気はしなかったが、そういえば、今日はまだなにも食
べていない。
「だいじょうぶだよ。ほら、こっちにおいで」
どう答えて良いのか迷っていると、彼女はくすくすと少女特有の笑い方をして、そこ
から部屋に向かって飛び降りた。
反射的に、その動きを目で追う。獲物を捕らえにかかるときと同じように身体が低く
なる。辺りに他の生き物の気配がないかを確認し、そっとその後を追った。
だが――。
ガン、という音とともに、彼女の声が聞こえた。
「うー……いたいー」
続いて聞こえた間の抜けた声に、警戒を解き、出かけていた爪を引っ込める。どうや
ら、羽があることからわかるように、飛ぶことはできるようだが、あまり上手くはない
らしい。台所――と呼ばれている場所だったか――の壁のちょうど真下で、彼女は頭を
抱えていた。
それから、こちらに気づいて、また笑う。
「あはは……ごめんね、もうちょっと待ってて」
小さな人間が、緩慢な動きで壁を上り始める。
本能が疼いた。視界が狭くなり、その後ろ姿を、中心に捉える。いつでも跳躍できる
ように身をかがめ、後ろ足に力を込める。それとほぼ同時に、前足から爪を出した。
「ぃしょ……よいしょ……」
またしても、間抜けな声に興が削がれた。
羽のある後ろ姿は、まるで小さな鳥か虫のようにも見えたが、やはり人間か。食った
ことはないが、あまり旨そうではないし、好んで食べるものでもなさそうだ。
上まで登りきった小さな人間は、満足そうに「ふいー」と声を上げている。軽く助走
をつけ、一気にジャンプして彼女の元へ向かう。
台所の上では、得意げな顔の彼女が、身体の倍ほどある皿に、同じほどの大きさの瓶
から白い液体を注いでいるところだった。
「はい、どうぞ」
注ぎ終わると、こちらが警戒しているのを見越してか、一歩下がってこちらの様子を
窺っている。一日くらい食事を抜いたところで死ぬはずもなかったが、期待に満ちた眼
差しで見つめられると、無下に断るのも気が引けた。
一応の用心をして、匂いを嗅いでみたが、腐っているわけでもなさそうだ。横目で小
さな人間を見ながら、口をつける。それは確か「ミルク」と呼ばれている飲み物だった。
「どう? おいしい?」
にっこりと笑顔で聞かれたが、それには答えずに、しばしの間、ミルクを飲んでいた。
しかし、こちらの反応がないのも気にせず、彼女は陽気に話し続ける。
「あなたは、誰かに飼われてたの?」
顔を上げると、小さな人間は緩やかな動きでこちらに近づき、首に手を伸ばした。
「ずっと首輪をしてたみたいだから。ここだけ、毛が少し薄くなってる」
首に手が触れる前に、身体を彼女から遠ざけるように素早く身を翻す。彼女は「ごめ
ん」と言って、あの悲しそうな顔をした。
「覚えてない」
なぜだか、そんな顔を見ているのが苛立たしく、すぐにもこの場を去りたくなった。
「思い出せると良いね」
食欲は、完全に失せていた。口の周りについたミルクを舌で舐め「どうだろうな」と
だけ答える。
「もういいの?」
「……もういい」
こうしてミルクだのパンだのを寄越す人間は今までもいたが、なぜだか今は、それが
気に障る。外に出ようと台所から降りると、またしても上で、ガタン――と妙な物音が
した。
「あー……うー……」
いっそ、このままなにも聞かなかったことにして出て行こうとしたが、少女の泣きそ
うな顔が頭をよぎった。もう一度ジャンプして上へ登ると、ミルクにまみれた小さな人
間が、予想したとおりの顔で、ぺたりと座り込んでいた。
こちらに気づくと、半分だけ笑って、ため息混じりに呟いた。
「えっとね……追いかけようとしたら、お皿に躓いて……」
この生き物は、なんなんだろう? それとも……幼い少女は、すべてこんなものだっ
たか。
大して飲まなかったものの、彼女がミルクを振る舞ったのは事実であり、このまま放
っておくのも気分が悪かった。こちらに危害を加えるつもりはなさそうだし、加えられ
るとも思わない。
仕方なしに少女に近づいて、ミルクを舌で拭き取ってやる。
「え? あ……ちょ……ちょっと?」

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